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高砂義勇兵ふたたび  ―― 最後の台湾人元日本兵 ――

文・写真 河野利彦 [ver 1.4] Last revised 20 MAY 2020

 →新しい形での公開のお知らせ(2020/05/20)

25年ぶりに、台湾人旧日本兵に会いにいった。

日本統治下の台湾に生まれ、日本語教育を受け、日本のために戦地に赴いた元日本兵を最初に取材したのは1985年のこと。彼らのなかには高砂族(台湾原住民)の人たちが含まれていた。そのとき撮影させてもらった写真や、うかがったお話は [ →こちらのページ ] に紹介してある。

あれから25年。高砂義勇兵のほとんどは大正時代〔1912〜1925年〕の生まれだから、もう85歳を超えている。ご存命だとしても、昔の記憶が確かな方はそう多くはないだろう。かつて取材した方のほかにも、誰かお元気な元義勇兵がいればぜひ会っておきたい。かくて2010年、元義勇兵に会うという目的で台湾を再訪することにした。そこには、若い日に(人の依頼ではなく)自主的に手を付けた仕事のその後を見とどけたいという思いと、(撮るべき被写体というより)人間に会いに行きたいという気持ち。そして、(あとから思えば)「父」を理解したいという心情も混じっていた。大正生まれの私の亡父と同世代のあの人たちは、その後どうなったのか?

消息をつかもうと調べはじめてわかったのは、吉川正義さんと山口達男さんがすでに亡くなっていたことだ。ご存命らしい、とわかったのは湯川孝二さんと大石忠義さん。しかし、いざ写真を片手に達邦を訪ねてみると、湯川さんはもう他界していたことが判明する。

結論を書くと、結果的に私が「再会」できたのは、大石さんだけだった。

2010年3月、再び向かった屏東縣春日郷。アポもなくいきなりの訪問で、開いていた戸から「こんにちは」と声をかけると、大石さんが出てきた ――正直、一目見て歳を取ったなと感じた。それも当然だ、私だって還暦がすぐ目前になっていたのだから ――そして私の顔を見るなり「おお」と声をあげ、戸棚から大きな封筒を取り出してきた。見覚えのあるその封筒の上には、まぎれもなく私の書いた字。なかにあったのは、私が送った『毎日グラフ』。思い出してくれたのだ、25年ぶりに訪れた私のことを! 思い切って訪ねてよかった、と思った瞬間だった。

「再会」は彼ひとりだったが、新しい出合いがたくさん待っていた。
まずは、台東縣卑南郷の岡田耕治(陳徳儀)さんである。彼のことを知ったのは、元高砂義勇兵の慰問をしている門脇朝秀さん(旧日本軍特務将校)の書いた本がきっかけだ。母はプユマ族で父は日本人。耳のほかにも足が弱っていたが、記憶は明瞭で、初対面の私にたくさん話をしてくれた。私が感銘を受けたのは、彼の生き方の美しさだ。つらい目に遭っても人のせいにせず、与えられたことに一生懸命取り組む姿勢。それが、戦前の《日本精神》ということでもあるのだが。
彼の回想はNHKのドキュメンタリー番組でも紹介され、いまでは動画がネット公開されているので、ぜひご覧になってほしい。[ →証言 陳徳儀さん ]

そして、岡田さんと同じ部隊だった戦友がいるというので、一緒にタクシーに乗って会いに行く。アミ族出身、88歳の宮田武男(高昌敏)さん。中村輝夫の同郷人として、『還ってきた台湾人日本兵』(河崎真澄著、文春新書、2003年)にも登場する方だ。

花蓮から富田村に廻り、光復郷で同じアミ族の伊藤貞夫さん、宮川忠さん、高田一郎さん、川村勝義さんの4人にお目にかかった。霧社では、最後の高砂義勇兵・宮田義仲さんと藤木文男さん。藤木さんを探し当てたのは、下山操子(林香蘭)さんの力が大きい。

操子さんは、ここで詳しくは書けないが、日本と台湾との歴史に翻弄された下山一家の出身で、元教師。私が事前に読んでいた彼女の回想録『故国はるか』に登場する「陳おじさん」――酒が入ると暴れて日本万歳、天皇陛下万歳などと叫ぶ元警官――とは藤木さんのことだった。そのことがわかったときの驚き! 私の今回の訪問が、何十年も会っていなかったふたりを再会させた、その巡り合わせの不思議さ。藤木さんと宮田さんはその後相次いで他界され、いま霧社に元高砂義勇兵はいなくなった。

2011年12月、再度台湾を訪問し、今度はツオウ族の向野政一さんに会いに行った。向野さんは戦争を生き延びたが、戦後は嘉義で二二八事件を戦い、1953年になって共産党情報員を隠した罪で無期懲役となる。それから23年間、監獄に繋がれていたのだ(のべ十年ほどは火焼島こと緑島に収監)。独裁政権が行った白色テロの犠牲者である。だが、蒋介石より長生きしてやると頑張った向野さんの不屈の精神、子どもを育てながら夫の帰りを待ち続けた奥さん。今は穏やかな老後を過ごしている。
このときの訪台で、前年に会った何人かの元日本兵と再会した。

戦後65年になるいま、こうした方々にお目にかかれたのは本当に幸せなことだったと思う。「人間」としての彼らに会うことが一番の目的だったけれども、私はカメラマンとして、彼らの姿をカメラにおさめた。それをここで公表することで、感謝と敬意を表明したい。




台湾に生を受け、かつて日本の皇民として「オクニ」のために戦った高砂義勇兵。
戦前の日本人の価値観をそのまま保ちつつ、《日本精神》をもって台湾に生きた、誇り高い人たち。
彼らの生きた姿を、証を、ネットの上に残しておくことができたら幸いである。

私事になるが、彼らを通じて私は自分の父親を理解し、若い頃は否定していた父を彼らを通じて肯定できるようになった。私にとって彼らに会うのは亡き父に再会するのと同じだった。彼らにしてみたら、勝手に他人を投影されるのは迷惑な話だと思うが、そのことに対しても謝意を表しておきたい。

なお、訪問にあたっては多くの方々のお世話になりました。お名前を記して、感謝申し上げます。ありがとうございました。

台北駐日経済文化代表処新聞広報部、渡辺哲夫さん(元軍医長)、古川ちかし教授(台中・東海大学)、門脇朝秀さん(あけぼの会)、小柳ちひろさん(テムジン)
【現地でお世話になった方々】 下山操子さん(南投縣埔里鎮)、葉綉清さん(南投縣仁愛郷大同村、写真左)、欧徳財さん(花蓮縣光復郷富田村、2011年9月逝去)と奥さんの張碧霞さん(写真右)、都魯彎観光文化発展協会・田貴芳さん(花蓮縣秀林郷富世村)、高砂義勇隊協会曁遺族文化協会会長・程登山さん(花蓮縣)

★下山操子(林香蘭)さんによる証言:「祖母に聞いた霧社事件」(NHK-BSプレミアムの動画)

(ネット公開 2013年6月)

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2013年以来、満7年にわたって本ページから台湾人元日本兵の写真にリンクを貼ってきましたが、2020年5月に写真の公開を終了しました。
かわって、電子書籍(Amazon Kindle)での公開を開始しました。(2020/05/19)

ネット版の内容を増強したKindle版へのアクセスはこちらから→『棄てられた皇軍兵士たち: 台湾人元日本兵』(無料サンプルをDLできます)

Kindle版 pp.20-21
大石さんのページ。表紙も大石忠義さんです

Kindle版 pp.20-21
岡田耕治さんのページ

Kindle版 pp.20-21
藤木さんと宮田義仲(ワリス・パワン)さんのページ。
『サヨンの鐘』の新聞広告も紹介してます

全ページカラー、B5版60頁の体裁で版組したうえで、さらにKindle用に調整しています。
400%拡大に堪えられるよう、高解像度の画像で製作しました。

タブレットやスマホなどの端末のほか、パソコンでもご覧いただけます。
データ量が多いので、Wi-Fiでつないでお楽しみください。

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